気取らず「手で食べるフレンチ」
料理の源流と食材の力を新たな形で伝えていく
「Ata」では、フレンチの技法を活かした魚料理を中心に提供。「手で食べるフレンチ」をコンセプトに、殻付き・骨付きの魚介類を気取らずに手で食べてもらい、食べることそのものを楽しませる空間を目指しています。
オーナーシェフの掛川哲司さんは、お客様の前で料理を仕上げて楽しませる「カウンター・フレンチ」にいち早く取り組んだパイオニア的存在です。ヨーロッパの港町にある食堂のような気さくな雰囲気の店内に足を踏み入れると、目を引くのはライブ感あふれるカウンター席。おひとりさま、カップル、仲間同士、接待利用など、様々なお客様がカウンター越しに料理する風景やシェフとの会話を楽しんでいます。
店内の奥には木の温もりを感じられるテーブル席も。リラックスできる空間で美味しい料理でお腹を満たせることから、Ataは平日でも予約のみで満席になるほどの人気店です。また、深夜2時までオープンしているため、「夜更けに美味しいものが食べたい」というときの駆け込み寺ならぬ、駆け込みレストランとして重宝するお客様も多いそう。
掛川さん自身が大事にしていることは、「生産者へのリスペクトを持ち、食材そのものが持つ力を引き出す」ということ。素材と素材の出会いを大切にしながらベストな形で結びつけていく“掛け算のクリエイティブ”を実践し続けています。そして、同じメニューであっても完結することはなく、常に新しい一皿を生み出しています。 そんな掛川さんが何よりも強くこだわりを持つ食材は、“日本産のお米”。「白米は、そのままで主役となるもの。手を加えないで味わうべき」という結論に至るほど、格別な想いを抱いているそうです。

美味しいものを仲間に食べさせる原体験が
シェフを目指すきっかけになった
僕が料理を始めたのは小学生の頃でした。当時、母はワイナリーを創業したばかりで多忙な日々を送っていたため、食事はほとんど出来合いのもので済ませていました。そんな中、兄がフランスパンにハムとレタスを挟んで食べさせてくれて、「何よりも美味しい!」と感じたのです。そこからは、兄や弟と共に料理にトライするようになり、次第に上達していきました。
中学生時代には学校の仲間が家に集まり、「腹が減った」というみんなのためにスープを作ったりしていましたね。コンロの周りに、美味しいものが食べたくてワクワクした顔が並んでいるのが嬉しくて。料理を提供する喜びを味わったあの原体験が料理人を目指すきっかけになったと思います。
高校卒業後は、調理師の専門学校に入学しました。フレンチの道に進もうと考えたのは、単純に「カッコいい」と思ったからです。自分にとっては洋食が身近だったので、「洋食のトップはフレンチだ」という、実に単純な発想でもありましたね。
ただ、就職先には恵まれず、カフェや企業の社員食堂などで働いていました。それでもフレンチの料理人を目指す気持ちは変わらず、人づてにフレンチの老舗「アピシウス」を紹介してもらい、修業を積みました。
6年後には、「オーベルジュ オー・ミラドー」で働くチャンスを掴み、全寮制で寝食を共にする仲間と切磋琢磨しながら、料理の技術を学びました。
その後、「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ(現・NARISAWA)」でスー・シェフを務めることになりました。シェフがミシュランで星を獲得して世界へと羽ばたいていく姿を間近で見ていましたが、とてもエキサイティングでしたね。
様々な場所で修行と経験を重ね、遠回りはしましたが、僕には「諦める」という機能はありませんでした。少しずつ前に進みながら、着実に料理の腕を磨いていくことができたと感じています。

東日本大震災で考えが一変
食べる喜び、楽しさを味わう幸せな瞬間を届けていきたい
料理人としての考えが大きく変化したのは、「デイルズフォード・オーガニック 青山店」で働いていた時期でした。英国のオーガニック・ブランドが手がける飲食店で、ヘッドシェフとして全権を任せてもらう経験をしましたが、就任から2年目、東日本大震災が起きたのです。
飽食の国とも言えるこの日本で、被災地で「飢え」に直面する人々の姿が報道され、誰もが驚き、心を痛めたと思います。そして、オーガニックにこだわる料理を提供していた僕の店からも客足は遠のき、毎日のように食材を廃棄していたのです。その一方でニュースを見れば、被災者の方々が飢えて苦しんでいる。「僕は一体、何をしているのだろうか、何のために料理人をしているのだろうか」と感じ、料理人を辞めたいと思うほどの虚しさと苦しさを味わいました。
そんな中、岩手県の陸前高田市に炊き出しに行く機会をいただいたのです。あのとき、被災地の方々が美味しい料理を食べることで笑顔になる姿を見て、“食”の持つ力を実感し、むしろ自分が元気をもらっていました。おかげで、僕がやりたかったことは、「料理というものを通じて人を楽しませ、元気にしていくことなのだ」と、あらためて気づかされました。
それまでの僕は、料理人としての驕りがどこかにあったように思います。「料理は自己表現であり、自分のクリエイティブをどう届けるか」ということばかり考えていたかもしれません。でも、食べることとは、もっと嬉しくて、もっと楽しくて、幸せであること。そうした瞬間を多くの人々に届けていきたい、と強く思いました。
この経験から2012年に独立してAtaをオープンしましたが、「何よりも大切なのはお客様が楽しく過ごせること」という考えが根底にあります。自分の料理の哲学を押し付けるのではなく、楽しいひとときを過ごせる気取らない空間で、最高の料理を提供していくことを大事にしています。

料理人は生産者とお客様をつなぐ「食材の魅力の伝え手」
日本産のお米はそのまま食べるべき美味しい食材
僕は、料理人というものは、生産者とお客様をつなぐ存在であり、「食材を加工し、その魅力を広めていく伝え手である」という考えを大事にしています。生産者の方々とお客様に対するリスペクトをしっかりと持ち、ベストを尽くした一皿を提供する。自分のクリエイトにこだわるのではなく、それぞれの生産者の方々のこだわりや想いをお客様に正しく伝え、つないでいくことが何よりも重要だと。
例えば、瑞々しいトマトは、それだけでもう十分に美味しいから、干したりする必要などないんですよ。そのトマトを作ってくれた彼らに感謝し、素材の美味しさを活かすためにどのような食材を組み合わせ、どのような技術で料理すべきかを考え、最大限にその魅力を引き出すことを常に考えています。
ですから、食材が産地直送であることにはこだわりませんし、自分の考えたメニューのために食材を探すこともしません。鳥取の鹿肉や鹿児島のトラフグなど、各地から取り寄せているものはありますが、それは「この生産者の方の手がけたものが素晴らしい。この人の想いを伝えたい」と思ったからであり、あくまで食材の魅力を伝えるためのメニューを考えています。

フレンチの料理人を30年続けていても、
日本産米の「おにぎり」の美味しさには勝てない
僕は日本のお米がとても好きで、毎日3食、ほぼ欠かさずに食べています。米どころである新潟には、母が創業して弟が後を継いだワイナリーがあるのでよく訪ねていますが、そこで出会った農家さんが作るコシヒカリが本当に美味しくて、この10年間、取り寄せ続けています。
日本産のお米の何が素晴らしいかと言えば、まず、炊き上がったときの湯気の香りが抜群にいい。炊飯釜を開け、しゃもじでかき混ぜるときの湯気は、僕にとって何にも変え難いご馳走なんです。そして、食べてみれば食感は柔らかく、スルスルと入ってしまう喉越しの良さがあり、口いっぱいに甘みと旨みが広がることに幸せを感じます。
日本人にとって、お米というものは別格の食材だと思います。一時期、「炭水化物は太るから、お米も太る」という考えが広まり、お米が遠ざけられていたこともありました。しかし、「米か、小麦か」という選択肢においては、お米のほうが健康的ではないかと僕は思っています。
それに、お米はそれだけで力を持っている食材です。炊いたお米をそのまま握っただけの「おにぎり」が至るところで愛されていますし、今は世界中でも「おにぎり」が大人気になっていますよね。
日本産のお米には、様々な品種があり、それぞれに食感や味わいの特徴が違うところも面白いですが、実はそれだけじゃない。新潟の魚沼には、たくさんのおにぎり屋さんがあって、実際に食べ比べてみると、お米の炊き方や握り方によって味わいが全く違うことに驚きました。
僕は、フレンチの料理人を30年もやってきましたが、ただお米を握っただけの「おにぎり」の美味しさには勝てないと感じます。日本産のお米の持つ力はとにかく絶大なので、美味しいものを作るために日々、研鑽を続けている料理人としては、羨ましくも嫉妬してしまうところもありますね。

日本産のお米を味わうなら、
釜を開けるところから楽しんでほしい
日本産のお米を味わうなら、ぜひ釜を開けるところから楽しんでいただきたいと思います。立ち昇る湯気の香りを味わいながら、つやつやと輝く炊き立てのごはんをしゃもじでかき混ぜる瞬間は、とても贅沢なものです。例えるなら、足跡ひとつない新雪に一歩を踏み出すときのような特別感があるのです。
僕がお米を炊くときにこだわっているのは、「一度に炊くのは3合まで」ということです。3合以上になると、釜に満ちる香りが物足りなくなってしまいます。また、柔らかいお米が好きなので、水を多めに入れて炊くことにしています。お米3合なら、3.5合分の水を入れますね。
日本産のお米は、吸水をさせなくても十分に美味しく食べられますが、水加減だけは大事。逆に言えば、せっかちな方や面倒なことが苦手な方でも、水加減さえ気をつけておけば、日本産のお米は美味しく食べられるのです。もちろん、好みの柔らかさは人それぞれに違うものでしょうから、いろんな水加減で炊いてみて、自分の好みの食感を探してみるのも楽しいと思います。
パスタやパンの場合は小麦を加工することが必要ですが、日本産のお米はそのまま炊けばそれだけでもう美味しい。茶碗の中で楽しむのもいいですが、シンプルにおにぎりにして味わうのもおすすめですね。ぜひとも多くの方に、日本のお米の魅力を知っていただきたいと思います。

Recommended dish
Ata Bouillabaisse Ataのブイヤベース
Ataを訪れる人の誰もが注文する人気メニュー。目利きの仲卸業者からその日に仕入れた真鯛のアラをたっぷりと使用して贅沢に出汁をとり、独自に調合したハーブを煮出したハーブ・ウォーターを用いて真鯛の身を焼き、旨みを引き出す。具材はそれぞれベストな食感に調理しているため、旬の野菜はほろりと口中に溶け、ムール貝はプリッとした歯応えに。真鯛とハーブの滋味深い味わいと共に、絶妙な食感も楽しめる逸品。