麻布 和敬
季節を感じ、四季を喰む。土鍋ごはんを通した日本の食文化を提唱
「麻布 和敬」は、東京都港区西麻布で四季の移ろいを感じるコース料理を提供する日本懐石料理店。最初に店を構えた地元・愛媛県で6年間の営業の末、2018年に『ミシュランガイド広島・愛媛 2018 特別版』で、県の日本料理店で唯一となる二ツ星の評価を受けて話題となりました。移店後も、修業時代から全幅の信頼を寄せる「かやもり農園」の植酸栽培コシヒカリをはじめ、各地の厳選した食材を用い、季節の移ろいを尊ぶおまかせコースを軸に展開しています。先付から始まり、土鍋ごはん、デザートで結ぶコースは、常に新しいアプローチを模索しながら、味わいはもちろん、目で見ても心踊る舞台のような緩急のある構成を楽しむことができます。〆のごはんは、都度土鍋で炊いて一組ずつ提供。白米はもちろん、炊き込みごはんとして提供することも多く、目の前で蓋を開ける瞬間に立ち上る香りから最後の一粒の余韻まで、お米のポテンシャルを存分に堪能できる逸品です。
素材を生かすのではなく、
素材の「持ち味」を生かす
料理においては、よく「素材を生かす」という言葉を耳にします。例えば、魚介で言うと「鯛(たい)」であれば、その個体が持っている「味=特性」をどう生かすのか。
そもそも、私たちが日々使う味噌、醤油などの調味料は、人間が作った人工物です。それらは、もちろん料理において大切な要素ですが、自然界にある天然の素材の味を超えることはない、と僕は考えています。ただ、獲れたての旬の魚と冷凍した魚では持っているポテンシャルが違うと思いますし、その場合、冷凍の魚は、塩を振る工程で補うことで臭みを取ったり、旨みを引き出すことができます。食材にソースをかけ味を重ねていく海外の食文化とは違い、調味料はあくまで補助の役割、というのが日本料理の考え方です。それはどちらが良い・悪いということではなく、その国が持つ風土や気候、文化がそうさせているのです。
私たち日本料理人に大切なのは、正確には「素材」を生かすのではなく、一つひとつの「素材の持ち味」を生かすこと。私はそれを常に念頭において、料理を作り続けています。
日本料理への視点と盲点
日本に生まれ、日本料理を生業としていくと決めてから、日本の食材や文化を「学ぶ」という姿勢は「分とく山」修業時代に板長から叩き込まれました。
日本人が、フランス料理やイタリア料理、中国料理など異国の料理を作りたいと思う時、まずその国の気候や風土、食文化を学ぼうという姿勢が根本的な入り口にあります。そこから現地で学ぶか、日本で再構築するか、それは人それぞれですが、学ばなくてはいけないという共通の意識は根幹にあるのだと思います。でも不思議なことに、日本料理を学ぶ際は、レシピや技術自体は学んでも、歴史的背景や文化を改めて知ろうとする人、噛み砕いて解釈し、自身の料理として表現しようと試行錯誤する人は、割合として少ないように感じます。あまりにも当たり前に母国で生きてきて、知っているような気持ちになってしまい無意識に日々の勉強を怠ってしまうというのは、日本料理の盲点です。
特にお米は、日本人の日常に欠かせない食材であるが故に、「おいしく炊く」という意識とは裏腹に炊き上がりの米をほぐさず放置してしまったりする人もいます。何故その工程が必要なのか。どうしたらもっとおいしく食べることができるのか。日本人はもっと自国の文化を学び、海外の人々へ伝えていかなければいけない。もっと奥へと深く追求するからこそ、今できること、表現できることの可能性が広がっていくのではないかと感じています。
季節に応じたアプローチと
パフォーマンス
店では先付から始まり、お椀、お造りなどを経て、季節により2〜3品、土鍋で炊いたごはんを提供し、デザートで締めるという10〜11品からなるコースで提供しています。まずは季節の食材を元に、自分が食べたいと思うものを軸にイメージを膨らませます。例えば、この気候でこの湿度なら、冷えた飲み物でさっぱり喉を潤しながら爽やかな先付を口に含むとおいしそうだな、など。お椀で優しく体を温めた後、新鮮な刺身をつまんでいただき、食欲が出てきたところで、魚や肉料理のご馳走感へと盛り上げ、土鍋ごはんへのアプローチに繋げていきます。一品ごとに自身の解釈も折り込みながら、日本料理の域を超えていないかを踏まえ、「先付からお椀」「お椀からお造り」「お造り後からの展開、そして〆の土鍋ごはんへ」と言う三部構成で、高級食材などのバランスを考え、ラグジュアリー感も演出しながら組み立てて行きます。
ちなみに、実は先付の次に「飯蒸し」と言うもち米を使った一品を提供することがあります。これは、十分に水分を含ませたもち米に季節の野菜や魚介などを添え、竹皮や笹などで包んで蒸し上げる懐石料理の献立の一つです。お米と言うよりは料理の一品の位置付けですが、空腹に少量の炭水化物を入れることで、胃を落ち着かせる役割を担っています。昔だと、前菜の傍にお寿司を一貫添えてお出しする、ということもありました。
〆に食べる土鍋ごはんは、
日本が誇る幸せな食文化
〆に出す土鍋ごはんは、お料理の進み具合を見て一組ずつ炊き立てでお出しします。昔の懐石料理は座敷などでいただくため、裏の厨房で大きな釜で炊いてお櫃で提供していたけれど、東京では、40年ほど前からカウンター懐石のスタイルが出てきました。当初は受け入れられないこともあったようですが、今では海外からもたくさんのお客様がいらっしゃるので、靴を脱がずにくつろげるスタイルが主流ではないかと思います。私は修業時代から、このスタイルで土鍋ごはんを提供していたのですが、やはり、〆のごはんというのは、最後に「ああ、幸せだなあ」と感じ、リラックスした安心感を与える一品なのだと感じています。イタリアンならコースの途中でパスタ、フレンチならコースの傍にパンがある、という流れだと思いますが、「料理の〆に食べるお米」は、まさに日本人ならではの食文化ですね。最後にさらっと辿り着きほっとできる、でも存在感と余韻は残す。僕の料理の中では、〆の土鍋ごはんはそんな立ち位置です。
お米は、修業時代から新潟県加茂市「かやもり農園」さんのコシヒカリを使わせていただいています。植物が根から分泌する有機酸を活用して土壌の浄化と活性化を施す植酸栽培という栽培方法で育てる日本米は、小粒ながらも粘性があり、適度な甘い香りが特徴です。この小粒なサイズ感は、白ごはんはもちろん、炊き込みごはんにも適していて、食材と混ざり合う中での食味、喰んだ時に広がる甘味のバランスが秀逸。お米だけの個性が突出せず、どんな素材とも馴染み最後まで食べ切れるこの品種は、「季節の香りがするごはん」として炊き込みごはんを提供することが多い僕の料理には欠かせない存在です。
日本の食文化を味わい尽くせる
日本米という存在
日本の土鍋ごはんには、「煮えばな」という白米の食べ方があります。イタリアのパスタでいうアルデンテ。ごはんが炊き上がる2分ほど前(炊き上がり90〜95%程度)、まだ芯が少しあり粒の周りがとろとろになった、まさにその瞬間しか食べられない香り高い味わいです。お店でも、白米で提供する時は必ずその「煮えばな」を召し上がっていただき、また蒸らして数分後に炊き上がりを提供しています。海外のお客様の反応はもちろん様々ですが、蓋を開けた瞬間に広がる香りと、艶やかに立ち輝く米粒を見て、「美しい!」と喜んでくださる方も大勢います。
元々日本の歴史の中でも、お米は贅沢な食材でした。そのかつて贅沢だった素材をいかに大切に最上級に味わって食べるか、それこそが日本が伝えるべき食文化のひとつだと思います。今回のレシピでは、シンプルな鯛の炊き込みごはんを紹介しています。難しい技術は必要ありません。お米を洗った後、ザルにあげ水を切り、十分な吸水時間を確保すること。それを守るだけで、想像以上に香り高くおいしい日本米を味わうことができます。
日本人にとって、お米は癒しであり、なくてはならない食材です。その価値を当たり前にすることなく、日本料理人としてお客様に伝えていきたいと思っています。
Recommended dish
Straw-grilled Conger Eel (one of the dishes in the multi-course menu) 穴子の藁焼き(コース料理の一品として提供)
先付の次に2〜3種提供する刺身は、盛り合わせではなく、シンプルなお造りはもちろん、温度帯や香り、食感などを踏まえ、アプローチを変えて1品ずつ、三部構成で味わっていただきます。季節の穴子は藁焼きにして香りを纏わせた後に細引きし、まろやかな土佐醤油で和え、アクセントにキャビアをのせて。ほのかな薫香と香ばしい穴子の皮と身の食感、キャビアの塩味が一体となり口中に余韻を残す逸品です。